たとえ言葉が風だとしても~開発的ビジネス論序論~

開発とビジネスの架橋を目指した新たなシステムを議論・検討・批判する場です。

民族・階級・正義のロジック~選挙分析の基本軸~

注:長文注意。結論部だけでも可。

 

 先ず触れなければならないことは、前回記事で『誤報』としたケニア選挙委員会の人員入れ替えは結局不完全なまま終わり、結果として、残念ながら『誤報』ではなかったという点だ。私が前回記事で誤報とした情報が出る少し前まで、ケニアフリーランサーの間では人員入れ替えは結局行われないという確度の高い情報が出回っていた。その後各ケニア新聞社が報じた様に新しい人員刷新案が発表されたため、期待も含めて前回記事を『誤報』としたが、現在でもチェアマンであるチロバ氏を含む複数の職員が組織内で発言力のある立場から離れていない。同氏は先日IEBCが最高裁に提出した情報源に誤りがあったとする声明を発表するなど、政局に影響を与え続けている。8月の本選挙時に責任のある職員の委員会離脱を期待しつつ、今後の推移を見守りたい。

 

 さて、本記事の趣旨は一部の方に見られる与党勝利の予想(期待)には必ずしも根拠が伴っていない現状を踏まえて、再選挙を分析する上で基本的な3つのロジック(理論)を個別に、あるいは複合的に組み合わせた意思決定を批判検討するというものである。次回選挙結果は安全保障に直接的な影響を与えるにも関わらず、分析軸として必要となる観点が見落とされており、冷静な分析が行われているとはいえない。本記事では現代アフリカ政治研究を軸に、単純な民族と支持政党が一致するという想定が現状適用することができない点を指摘したい。可能な限り学問的概念を肌感覚に沿うものに翻訳した上で理論を展開することを試みたい。

 また、本記事は特定政党を支持するものではなく、あくまで現在流布されている選挙予想の問題を批判検討する場にしたいと望んでいる点は留意されたい。

 

 

〈民族のロジック〉

 先ずは民族の論理を見ていきたい。本記事では民族理論を簡単に以下の様に定義したい。「民族に属する集団は民族全体の利益を増大させ、同時にその利益の一部を当事者が享受することを期待し、同一民族の政治的リーダーを支持する」という想定をしよう。実際にケニアの様々な民族集団内の言説では、もし自民族の政治的リーダーが権力を得た時に、集団そのものが利益を享受できるという期待を語るものが多い。これは特に政治的リーダー→民族集団構成メンバーに同言説が伝達され、この言説を支持するものが実際に支援活動ないし投票といった形で同理論を支持する。この想定を拡大化、単純化した考えが「民族集団は同じ民族の政治的リーダーを支持する」というものである。

 こうした考えが多く支持されている時代は確かにあった。しかし、現代アフリカ政治研究ではこの考えは傍流に押しやられている。日本人の肌感覚に沿った例えを試みたい。日本はほぼ単一民族国家なので、ここでは民族を『出身地』に置き換えてみたい。ある程度規模の大きい都市の市長選挙を想定する。市民は様々な地域から流入してきているが、ある程度大まかに出身地は限定することができる。市長選挙を行う際に出身地AからリーダーA、出身地BからリーダーBが立候補した。あなたの出身地がAであった場合、出身地だけを見てリーダーAを支持するかどうか。リーダーAが市長に当選したとして、そこから利益を享受することをどれほど期待できるか。この理論が持つあまりに単純化した考えが持つ危険性がこの点にある。ケニアの社会状況に立ち戻ると、確かにケニアでは、不正やインフォーマルな繋がり、省庁や行政法人のポスト配分により利益を享受できる期待の割合は大きいかもしれない。しかし、その利益が一般市民にまで広く分配されてはいないことも事実であり、結果として多くの市民の間では「誰がリーダーになっても得られる利益は変わらない」という状況を否定することはできない。よって、こうした単純化した理論を支持することはできない。

 同理論を用いた与党勝利の想定としてよく聞かれるものは、「与党は多様な民族の政治的リーダーから幅広く支持されており、その支持者からも支持されているために再選挙時に勝利するだろう」というものである。この想定には少なくとも2つ問題点がある。まず、現在紙面を賑わせているように、与党支持を表明する政治的リーダーが増えているように「見える」点は事実かもしれない。しかし、実際には与野党を含めた支持政党における政治的リーダーの鞍替えはMCA(市議会のようなものとここでは理解してほしい)レベルから国会議員レベルまで頻繁に行われているにも関わらず、奇妙なことに大手新聞社が報じている内容は与党支持の情報で埋め尽くされており、野党支持に対する扱いはほとんど確認できていない。言い換えれば、報道が偏っていると言わざるをえない。次に、たとえ政治的リーダーが支持を表明したとしても、住民がその支持に反抗し、政党キャンペーンの受け入れを拒否する例が確認されている。つまり、民族を軸としたリーダーと支持住民という関係が、上記で論じたように単純に想定することができない。特筆すべきは後述するキシイ人の例だろう。結論としては、単純な民族理論を用いた選挙分析は住民の意思決定構造をあまりに単純化しており、適用に値しない。

〈階級のロジック〉

 本記事では階級理論を「個人が属する階級において、個人の得られる利益を増大あるいは保持することを優先して、支持する政党ないし政治的リーダーを決定する」ものと想定したい。民族理論と異なる点は、個人の利益を重視する点だろう。ここで階級とは経済的、政治的、社会的なピラミッド関係を基にした上下関係としたい。ケニアにおいて、階級社会は厳然と存在しており、階級内の意思決定から行動様式、服装や食事にいたるまで様々な点で異なっている。例えばアッパークラス(上位階級)では週末に高級ショッピングモールに行き、食事とショッピング、あるいはスポーツなどをして余暇を楽しむかもしれない。ミドルクラス(中位階級)では近場のチェーンスーパーマーケットに行き、たまの贅沢におやつとソーダ(炭酸飲料)を買うことを楽しみにしているかもしれない。ロウワークラス(下位階級)では馴染みのローカルレストランでチャイ(お茶)を嗜み、仲間と共に冗談と社会へのヤジを飛ばすことが唯一の娯楽かもしれない。

 階級理論に沿えば、上位階級に近ければ近いほど与党を支持し、下位階級に近ければ近いほど野党を支持する傾向があるといえる。これを既得権益の関係から説明したい。ここでいう上位階級者は、たとえば国会議員、官庁の重役ポストに就いているもの、あるいは有力ビジネスマンが代表されるだろう。上位階級者は既に利益を享受しているものたちであり、現在の経済・政治・社会構造の変革を望まない。何故ならば変革が生じた際に、個人の利益を失ってしまう可能性に曝されるためである。反対に、下位階級者は現在利益を享受していない立場の者たちであり、既存に利益分配構造を変革するために野党に期待する。階級理論でいえば、民族という枠組みを飛び越えて、個人の利益が優先される。そのため、たとえば違う民族の政党であっても、上位階級であれば与党を支持する。下位階級では逆である。また、上位階級者が期待する点が主にポスト配分の保持や増大であるのに対して、下位階級者が期待することが政策である点も留意したい。ここでいうポスト配分は明確な役職に加えて現在個人を取り巻く政治経済的な人脈も含めたい。ここで重要な点は双方ともに「これからの期待」を基に意思決定をするという点である。つまり、いくら公約として掲げていても、これまで実施されなかったポスト配分や政策を意思決定者は期待することはあまり想定できない。そして、それぞれの階級に属する者が期待するものが違う理由は、それぞれの階級で個人の利益を増大ないし保持することに対して期待できるものが異なるためである。民族理論とは異なり、それぞれの階級者にとって直接的な利益を見込める期待が存在する。

 いくつかの研究では、2007年前後を境にして、ケニアでは民族集団よりも階級が政治行動において優先されているという現象が伝えられている。主な対象となっている民族集団はキクユ人であった。キクユ人内での階級分化は以前より指摘されており、近年では特に民族集団内で持つものと持たざる者が顕著となっている。こうした持たざる者たちの間でゲームのルールを変化させるために下位階級者に有利な政策を掲げていた野党を支持する動きや投票を含む支持活動に参加しなくなった者が現れてきたというのである。

 与党勝利の想定に適用するならば、現在ケニアでは格差が大きな問題となっている。マクロ経済は確かに成長している。しかし、自らの生活は変わらないだけではなく、物価や生活のコスト上昇でむしろ困窮している。これらは事実であり、こうした声が多く聞かれるのが現状であろう。昨年よりみられる多発するストライキや今年の干ばつによるメイズ不足とそれに対する政府の稚拙な対応など、与党に対する不満はすでに目に見える形で表出されている(そして、仮に野党が政権を奪取したとして、こうした現状が容易に変わるとは想定できない点も付け加えたい)。具体的な事例としてはナイロビ市長選挙を挙げたい。与党に属するマイク・ソンコ氏は与野党問わず、下位階級者からの支持を得て、ナイロビ市長に当選を果たした。筆者と弊社の調査チームでは、野党支持者にも関わらずソンコ氏に投票したという住民を多く確認している。これは階級理論の典型例として認識してもいい事例といえる。これを大統領選に適用するならば、比較的経済成長路線によるウフル現大統領に対し、公平な資源分配路線の色が強いと見られているライラ氏という対立構造があり、人口比率的に圧倒的多数な下位階級者あるいは下位中位階級者が現状のルールを変更するために、野党を支持するということは十分に考慮しなければならないシナリオである。

 

〈正義のロジック〉

 正義理論とはつまり正統化理論のことである。本記事では正義理論を「個人は属する集団の言説を参考にしつつ、個人の良識に従って社会的に正しいと思える選択を行う」ものと想定したい。同理論は現在のアフリカ政治研究ではあまり研究の主体とはなっていないことを認めつつ、10月の再選挙時に極めて重要な意味合いを持つため、簡単に触れていきたい。

 正義理論が上記2つの理論と決定的に違う点は、意思決定において利益ではなく、正義(社会的に正しいと思えるもの)を重視するという点である。人間の意思決定は、必ずしも利益だけでは計り知れないことには異論の余地はないだろう。たとえば主流派経済学が想定する合理的経済人(個人が自らの利益を最優先に追求するために最適で合理的な選択を行うことを想定している人物像)が政治学の分野でも適用されたことで、現在論争が続いている。特に政治学研究者からの反論が顕著であるが、これには人間というものが必ずしも個人の利益を最優先に意思決定を行うものではないという実例が存在しているためである。人間は個人の利益に加えて、集団の利益、あるいは自らとは関係のない他者のために意思決定を行うことがある。簡単な例であれば、仕事帰りの電車で年配や妊婦の方が席を探している状況を想像して欲しい。ここで合理的経済人ならば自らの利益を優先して、席を譲らずにそのまま休息を取り続けることが選択されるかもしれない。しかし、そうした場面であえて席を譲るという選択も現実を生きる我々は行うことがある。なぜならば、個人の利益よりも社会的に正しく望まれている選択を理解し、自らの利益を放棄することができるからである。ある人にとってはここに人間性というものを見出すかもしれない。

 ケニア人においても正義の実践は日常の中から簡単に見出すことができるが、筆者は特に2008年前後のケニア市民の行動を挙げたい。これまで何度も指摘してきたように、ケニアにおいて2007年末から2008年初頭にかけて、史上最大規模ともいえる暴動が発生した。ここでは民族集団(とおもえるもの)同士の衝突により、殺傷事件や人道に対する罪が頻発した。その残酷な事件の裏では多くの勇気あるケニア人の行動が報告されている。たとえば民族集団Aに属するものが民族集団Bに属する隣人に対して、暴動が計画されているため事前に避難を喚起したという事例は数多く報告されている。また、暴動に巻き込まれた見ず知らずの他民族集団のもののために仲裁を試み、我が身を呈して守りきろうとした事例もある。暴動後のケニア社会では暴動発生の反省から、真剣にケニアの平和を望み、同じ過ちを繰り返さないために各地で講演や平和教育が盛んに行われてきた。筆者はケニア人の平和に対する真摯な感情が、少なくとも以前よりは醸成されてきていることを感じている。

 再選挙に正義理論を適用するならば、現在与野党で論争の中心となっている2点を挙げたい。一つは与党による選挙法改正の試みである。与党は8月の選挙が無効となった責任の中心を選挙管理委員会の手続きとそれに伴う選挙法にあると考えており、改正案を推し進めようとしている。最高裁の判決を受け入れながらも選挙キャンペーンでは最高裁裁判長のマラガ氏を中心に激しい非難を繰り返しており、諸外国(特に欧米諸国)から法の遵守を維持すべきという警告があるにも関わらず、選挙法改正の正統性を主張している。この点では自らの属する集団の言説に多大な影響を受けるため、支持者は民族毎の主張が分かれやすい状況になっている。何故ならば、ケニアにおいて言語、コミュニティ内で流布される言説は大きく偏っており、特にメディアを所有していたり影響力を持つ政治的リーダーと同じ民族の市民は直接的な影響を避けられないためである。ここは民族理論とも対比した考察が必要になるだろう。

 2つ目は野党による選挙管理委員会メンバーの辞職と選挙備品を提供する会社の変更要求である。野党は月の選挙が無効となった責任の中心を選挙管理委員会の不正、そして選挙備品の不適切な使用が原因と主張している。8月の選挙を振り返れば、投票終了時から既に不正と思われる不適切な動きは報告されていた。その後次々と明らかになった選挙用紙の不適切な管理や投票箱の違法な開放など、メディアを通じて選挙実施の問題が報じられてきた。特に選挙のオンラインシステムはやり玉に上がっており、野党は何度もシステムサーバーにハッキングされた証拠があると主張している。これらの不正を繰り返さないためにも、メンバーの辞職と備品を提供した会社の変更は必要というのが野党の考えだ。

 ここで(キシイに住む)キシイ人をとりまく特徴的な事例を挙げたい。キシイ人は元々与党の支持者が多数を占めると思われていた民族だった。しかし、8月の選挙時には野党党首のライラ氏が55%を獲得したのに対し、現大統領ウフル氏は43%に留まった。投票結果だけをみれば野党支持者がやや多い地域といえるが与党支持者も相当数存在する。こうした状況が変動したのは最高裁判決に対し、与党が非難を繰り返し始めた頃だ。各新聞社はほとんど報じてはいないが、KTNによると最高裁裁判長のマラガ氏を名指しで批判したことで、キシイ人の間では与党離れが起こっているというのである。裁判長のマラガ氏はキシイ人であり、そのマラガ氏批判がキシイ人の間で与党に対する抵抗を生じさせた。与野党支持者が混在する地域において、上記の二つの主張のどちらを支持するかも半々程度になる可能性はあったはずである。しかし、同地域に住むキシイ人はマラガ氏とマラガ氏の下した判決を支持し、与党支持から離れる動きが進んでいるのである。マラガ氏はアフリカで初となる選挙の無効という判決を下した裁判官として、欧米諸国から賞賛された。世銀はマラガ氏に約1.6億シリングもの法律書を進呈した。勇気のいる決断であったといえる。筆者はできるだけ偏りがでないように同地域に住むキシイ人5人に確認したところ、彼らはこの主張を支持していた。サンプル数が少ないため大勢の動きを見極める情報にはなり得ないが、参考程度にはなるだろう。正義理論においては「誰が、何を話してるか」、そしてそれによって「社会にとって正しく望まれている判断は何か」が鍵となるが、キシイ人の事例はそれを示す好例といえる。

 

〈結論〉

 かなり詳細を飛ばして論理展開をした点は反省しているが、投票の意思決定に関して様々な判断軸があるという点を理解していただけたら幸いである。現在のケニアの状況を考えた上でのポイントをまとめたい。

 

1. 政党と同じ民族=その政党の支持者という構造は単純には成り立たない

2. 個人が置かれている状況によって、どの軸を優先するかは異なる

3. 利益のみならず正義(正統性)が人の意思決定には大きく関わる

4. 既存の現地政治報道には偏りと限界があるため、必ずしも現状を捉えていない

 

 投票行動と投票数だけを捉えるならば、人々の言説の中にその答えがあることは言うまでもない。その主な言説とは、民族の言説、階級の言説、(主に民族内の)正義の言説である。これらの言説は相互に影響しあい、刻々と変化する。そして、それぞれの境界を意図的に偏り無く渡り歩くことなくして、これらの言説を理解することは困難である。先のアメリカ大統領選挙では大方の予想に反してトランプ氏が当選したが、その時指摘されていたことはマスメディアがサイレント・マジョリティの声をすくい上げていなかったことだった。ケニアにおけるサイレント・マジョリティは誰で、彼らの意見は何か。この点について考察を深めれば、結論は複数はないはずである。

ゲームのルール

 本文に誤情報がありました。十分に情報を確認していなかった筆者の責任です。本稿により誤解された方、および無責任な批判の対象となった選挙管理委員会に謝罪致します。申し訳ございませんでした。訂正すべき部分にチェックを入れたので確認ください。


某国選挙に関する現状認識を述べる。以下便宜上、8月に行われた選挙を本選挙、新たに行われる再選挙とする。本稿の目的は、再選挙に伴う準備対応と現状認識にいささかの混乱と困惑が見られるため、再選挙を理解する上での争点の明確化、そして与野党陣営の選挙戦略を概観した上で、安全保障に資する情報を提供することである。

 

 先ず始めに確認しなければならない点は、与党は可能な限り早く、そして野党は可能な限り遅く選挙を行いたいという動機に対する理解である。これは言い換えれば、与党は選挙管理委員会及び選挙システムを変更しない(させない)内に選挙を行うこと、そして野党はそれらを変更した後に選挙を行うことを目指しているということである。本選挙では選挙管理委員会が主体となって選挙を執り行ったが、結果として透明性に欠けた選挙となった。具体的には、不正投票や投票センターから集計センター間での理解しがたい数字の変更、投票確認作業手続きの不備、そして選挙集計プログラムに対するハッキングといった疑惑が指摘され、これらの理由から異議を受けた最高裁判決により、本選挙の結果は無効となった。与党党首は最高裁に対して再選挙を行うことによる時間と金の無駄を批判しているが、これは的を得ていない。そもそも選挙管理委員会による適切な選挙運営が実行されたならば、新たなコストがかかる必要性は生じなかったためである。同時に野党党首は、結果として投票という国民の声を踏みにじることとなった選挙管理委員会の責任と改善を要求している。

 

 「以下、誤情報部分」→責任追及に対する対応として選挙管理委員会は人材の刷新を発表したが、これは現状中身の伴っていない対策となっている。透明性に欠けた選挙を行った責任者が選挙管理チームに残ったまま、新たに人材を加入させたのみに留まっているためである。これは小手先の改革であると言わざるを得ず、国民の不満や不安を解消させる対策とは程遠い。原因を追求し、抜本的な対策を行うためには、失敗を犯した責任者を選挙管理チームから除外すべきだろう。←「以上、誤情報部分」また、論争になりやすいICT担当官には第三者による外部の監視チームを用いるという方法もある。「以下、誤情報部分」→現状を考えれば選挙失敗に対する対策は進んでおらず、仮に再選挙が行われたとしても同様の失敗を繰り返す可能性は依然として高いと言わざるを得ない。この点に関しては今後共論争のやり玉に挙げられるだろう。←「以上、誤情報部分」

 

 次に確認しなければならない点は、与野党の選挙戦略である。野党の選挙戦略は「透明性の高い選挙を実現することで世論の過半数に支持されている野党の勝利を目指す」というものである。これは2008年選挙、2013年選挙と疑惑の多かった選挙の際の野党の態度をみれば理解が容易である。野党はそれらの選挙で自らを実質的な勝者とみなしており、本選挙が始まる以前より一貫して不正排除をテーマとした戦略を進めてきた。何故ならこの点が本選挙、再選挙における野党による最大のテーマであり、この問題に十分に対処できなかったため、2008年と2013年に敗北を喫したためである。選挙管理委員会責任者の交代、野党独自の集計センターの開設などがこれにあたる。これらの戦略が変更されることはなく、再選挙においても透明性を確保するための戦略を推し進めるだろう。だからといって野党自らが不正を犯さないという保証がない点には留意しなければならない。

 

 対する与党の選挙戦略については、SNSやブログで述べるには限界がある。与党の選択肢は数多く残されてはいない。実現可能且つ効果的な戦略はおそろく2つだろう。一つは本選挙と同様の戦略、即ち選挙前に多くのコストをかける、組織的な戦略である。もう一方の戦略は選挙そのものを壊す戦略であり、それはケニアの政治史上既に発生している。どちらか一方、あるいは併用しての再選挙となるだろう。与党がどのような戦略を取るかは未だ判明していないが、それは住民間の言説の中で確実に顔を出すことになる。

 

 いずれにせよ、安全保障の観点からいえば、住民レベル、草の根レベルでの情報収集を幅広く行うことが対象地域内における安全確保に重大な意味をもたらす。

 

 様々な立場に様々な方がおられるし、立場や所属コミュニティによって難易度は変化するかもしれない。それでも私は本選挙及び再選挙の分析は比較的容易であると指摘する。指摘し続ける。争点と問題点が顕在化しており、適切な分析の枠組みを当てはめやすいためである。これは社会にとっては決して良いことではなく、顕在化は同時に深刻化を意味している。

 

 上述した問題点に対しても、おそらく今月内に答合わせができる状況となるだろう。分析のポイントも既に述べた。私が期待しているのは、あからさまにむき出しとなっているこれら問題に対して、何らかの対処策が施されることである。同じことを繰り返すべきではない。


訂正部分注記。


選挙管理委員会内の人材配置を行い、本選挙時の責任者は再選挙において選挙管理チームに加わらず、新たな人選からなるチームで選挙を実施します。チェアマンを除く。


組織内での人材再配置がどこまで透明性のある選挙に貢献するかについて検討が必要ですが、新たなチームに期待しています。


情報確認を怠り、いらぬ誤解と批判を招きかねない情報を公開したことを猛省します。

「私はこの国に疲れてしまったよ」と、彼は言った。

 穏やかな日だった。この頃続いた雨が嘘の様に去り、頭上には爽やかな青空が広がっていた。オフィスが面する路地では子供が石を蹴飛ばして遊び、通り向かいのアパートでは女性が洗濯物を干していた。溜まった家事を一気にこなすのにはもってこいな、そんな穏やかな日だった。

 

 休憩がてらに庭で水を飲んでいると、来訪者が現れた。私の友人だった。大手のメディアで長年ジャーナリストを続けてきて、これまで歴代の大統領を含む名だたる政治家とも対談を行ってきた人物だ。今は独立し、会社を経営している。

 

 この頃顔を合わせることもなかったので、積もる話はいくらでもあった。その中で、最近紙面を賑わす某氏の変死事件に触れたのは当たり前のことだったかもしれない。その事件に関して様々な憶測が乱れ飛び、紙面やSNSだけではなく、日常生活の中でも密かに議論が交わされていた。

 

 状況だけを見れば、誰が何のためにその事件を引き起こしたのか、嫌になるほどあからさまであった。しかし、多くのメディアが取り上げたにも関わらず、肝心の情報については綺麗に空白で埋められていた。

 

 少し話が進んだとき、彼は唐突に切り出した。変死した某氏は、彼の親戚らしい。とても優秀で海外にも留学経験があり、この国の将来を支える人物と周囲から期待を受けていた。そんな人物が突然、殺されてしまったのだ。ただ殺されたのではない。拷問された上で殺されたのだ。

 

「状況を見れば、誰が何のためにやったのかなんて分かりきっていることじゃないか。なぜメディアは報じないのか。それも分かりきっていることじゃないか。報道できないのだ。既に現場に圧力がかかっているからだ。今新聞を読んでも何も意味がない。それが今のこの国の現状なんだ」

 

 いつも陽気な彼の表情が、その時は曇っていた。そんな表情を見るのは初めてだった。私は彼の悲しみに歪む顔を見たくはなかったが、きっと私も同じ顔をしていたのかもしれない。

 

 彼の顔を見て言葉を失い、少しだけ沈黙が続いた。どこかに出口を求めて彷徨うかの様に、彼はぽつりと呟いた。

「私はこの国に疲れてしまったよ。疲れた。本当に疲れたよ。」

 

 言葉通り、何もかもに疲れ切ったような表情をして、彼はそう言った。頭の中で彼の言葉を反芻した。これまでも、おそらくこれからも、私はそのような台詞を人生で吐くことは無いだろう。その事実に気づいたとき、私は腹の底にある冷たい鉛の感触を自覚した。

 

 再び沈黙が続いたあと、彼はビジネスのことで調べ物があるといってオフィスに戻っていった。その姿は、何とか会社のことで頭を埋め尽くし、認めたくはない現実から逃れようとしている様にも見えた。

 

 私は何をする気にもなれず、一人屋外に取り残された。路地ではまだ子供が石を蹴って遊んでいるだろう。通り向かいのアパートでは既に洗濯物を干し終え、一息ついていることだろう。頭上には爽やかな青空が遠々と続いている。

 

 穏やかな日だった。どうしようもなく穏やかな日のことだった。

 

 そのことが私の眉間に皺を刻ませ、歯を食いしばらせた。

豊かな市場、脆弱化する社会

〈好調なケニア市場〉

 ケニアはここ数年FDI(海外直接投融資)額がドカンと跳ね上がっている。世銀のデータを見るとそれは顕著で、2013年からの伸びはもはや驚異的というべきだろうか。

http://data.worldbank.org/indicator/BX.KLT.DINV.CD.WD?locations=KE

 2016年に公表された在アフリカ日日系企業に対する調査(JETRO)では、今後ケニアを最有力な投資先としてみる企業が多いようである。

https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/01/cd657477753a916f/20150179.pdf

 先ず筆者の立場から言えば、今後ケニアの市場に将来性があることは間違いがないと考えている。筆者はナイロビで行われているビジネス展示会に頻繁に参加しているが、先進国企業に加え新興国企業(たとえばベトナムインドネシアなど東南アジア企業、イランやUAEなどの中東企業)が精力的にビジネス展開を狙っている。これはまた別の記事で取り扱いたい。

 21世紀のアフリカ社会における最も劇的な変化は、経済成長の源泉となった一次資源価格の高騰ではなく、筆者は「アフリカが市場として認識された」ことだと考えている。

 これは経営学者であるプラハラードが提唱したBOPビジネスという概念がもたらした影響が極めて大きい。そして、その後資源需要がもたらした投資循環がサブサハラの経済成長に貢献した。膨大な内需に関しては慎重に議論しなければならないため、ここでは省きたい。

 

 今一度世銀のデータを参照して欲しい。2007年末から2008年初頭にかけて発生した選挙後暴力、そして2008年中盤に露呈したリーマンショックは直接的、間接的にケニアに影響したことだろう。1997年に発生したアジア通貨危機の際にも、アジアから遠く離れたアフリカ市場から資金が引き上げられた過去があった。グローバル市場がもたらす連関性は現在その繋がりを増し、別地域の出来事のはずが、アフリカに直接的な影響をもたらすようになっている。

 その後の好調を説明する多くの理由は、中国の経済成長とそれがもたらす資源需要に集中するだろう。

そうした背景を考慮しつつも、一度市場として認識されたケニア市場の将来性は明るいものであると考えている。東アフリカの中心国であり、近年ではM-PESAに代表される革新的かつ意欲的な技術挑戦がこの地で始められた。現地にオフィスを構える外国企業ではポスト中国議論を始める企業もあり、アフリカビジネス戦略のある意味では最先端を走っているとも考えることができる。こうした活気がナイロビにはあるのである。

 

〈脆弱化する社会〉

 その半面、社会が脆弱化していることも表面化している。中間層の伸びは鈍く、労働者の中でフォーマルセクターとインフォーマルセクターの労働者の比率は拡大傾向が始まっている。好調なGDP成長の反面、人口で見た失業者数やギリギリの生活に耐える人々の声は増大しているのだ。強調しておかなければならないことは、中間層の絶対数は着実に伸びていることである。しかし、それを上回る脆弱者層の人口増があるということである。

 特に若年層のフォーマルセクターへの就職が困難であることはもはや社会問題となっている。「金持ちの財布はどんどん大きくなっていく、私達は財布に入れる金もない」という言説を、筆者は様々な層の若者から頻繁に聞いてきた。ナイロビ大で勉学を修めた若者がスラムで暮らさざるを得ない現状があるのである。先進国が政府に求める再配分機能を、現在のケニア政府に求めることは酷であるかもしれない。能力的、システム的に多くの困難があるからである。その一方で役人の汚職問題には事欠かなく、脆弱層を中心にした役人やアッパー層に対する感情がもはや憎悪と呼べるほどに膨れ上がっている。彼らも当たり前に平和と安定を求める、普通の人間である。だからこそ、現在の社会構造とそこから利益を享受するアッパー層に対する不満や怨嗟は、表面上どのように振る舞おうと、その心の奥底では決してなくならないのである。そして、その中には全てを諦めてしまったかような人間も筆者は相当数見てきている。

 

〈よく乾いた火薬庫〉

 こうした不満や鬱憤が点火する機会がケニアでは5年毎に回ってくる。それが選挙だ。政治にもはや期待をしない者を除き、こうした憤りを政治家に託し、何とか現状を変えてくれという叫びを込めて投票する者がいる。反面、既得権益にある者は決してこの構造を変革させてはならず、恐怖と期待をごちゃまぜにしたような気持ちが投票を促す。ケニアで悲劇的なことは、こうした利益構造が歴史的に民族というくくりに深く結びついてしまったことである。ケニアでの民族の歴史は植民地政策まで遡る利益と暴力に彩られている。元々ケニアでの民族はゆるやかなものであり、比較的簡単に民族の変更、つまり他民族への流入と受け入れが行われていた。それが今では暴力を巻き起こす主要因の一つとなっている。

 筆者は現在のケニアを「よく乾いた火薬庫」であると認識している。これは紛争分析で用いられる2つの分析軸である、構造的要因と引き金要因から想起したものである。つまり、簡潔に説明しようとするのなら、構造的要因(火薬の量と質)と引き金要因(その火薬に点火するきっかけ)を考えた時、こうした表現が思い浮かぶ。民主的な選挙が本格的に導入された1992年から、ケニアでは選挙が行われる5年毎に暴力が発生するのではないかという恐怖に人々が曝されている。とある研究者は、「五年ごとのリボルバーロシアンルーレットを行うようなものだ」と発言していたが、筆者も同感である。それでは暴力が発生しなかった場合はどうであるかというと、単に幸運が重なっただけである。残念ながら火薬は現在も着々と積み重なっている状況で、GDP成長がその火薬を湿らすことは現在のところ考えることは出来ない。そして、五年毎に来る点火のきっかけからは逃れることは出来ない。

 2013年の選挙は特殊であったが、今回の選挙も異質なものとなるであろう。ケニアで史上初めて、セカンドラウンドまで突入する可能性があることだ。両陣営で奇妙なことは、ファーストラウンドでの一発勝負で決着をつけることを念頭に置きつつ、セカンドラウンドの可能性を考えた戦略を実行しなければならないことだろう。安全確保を行わなければならないものにとっては、対応が難しくなるかもしれない。

 2008年の選挙後暴力では中国人商店に対する襲撃事件が目立つ事例があった。背景にある正当化理論(そして誤りがある)は「外国人がケニアで搾取している」、だ。それでなくとも、現地コミュニティで少しの摩擦が余計にもつれる場合がある。選挙前後は電子機器など価値の高い物資は引き上げることも検討すべきかもしれない。

 市場だけに目を向ければ、ケニアには意欲的な未来があるといえるかもしれない。しかし、それを支える社会の先行きは誰も見通せぬままである。

2017年選挙後暴力に備えるナイロビ市民

〈避けられない危機なのか〉

 弊社がWEBメディアに加えて調査事業を行うことに関しては前回記事で触れた。弊社が現在進めている調査は、新興中間層地域にあるスーパーマーケット利用者の基礎的な家計調査だ。ときに投資理由として、ときに経済成長の根拠として新興中間層は取り上げられるが、その実態まで精査した調査はあまり行われていない。本調査は新興中間層でも将来的にビジネスターゲットとして設定されることが多いと思われる、チェーンスーパーケットの利用者を対象に1000世帯に対する定量調査を進めている。調査内容は主に所得、消費、貯蓄、所有財産についてである。このデータはデータスクリーニング後に無料で公開する予定なので、必要としている個人あるいは法人があれば私か会社まで連絡してほしい。選挙の影響がなければ8月2週目を目処に公開できるはずだ。

 今回は本調査で得られている定性部分、つまり現在の住民の動向を伝えたい。また、本稿で指すナイロビ市民とは、厳密には「新興中間層のチェーンスーパーマーケット利用者」を指していることに留意されたい。

 ナイロビ市民が現在進めていることは、選挙後暴力に備えた飲食物を蓄えることだ。前回記事で少し触れた2008年の選挙後暴力では、暴力が発生した期間中にスーパーマーケットが閉鎖し、暴力問題と同時に食料問題が発生した。そのため、ナイロビ市民は比較的安全な現在から飲食物の備えを始め、危機に対処しようとしている。調査員からの聞き取りによれば、小魚の乾物やウンガ(メイズの粉、主食であるウガリを作るもので、本来は商品名)、小麦粉など日持ちのするものを中心に備蓄が行われている。日本であればインスタントヌードルの備蓄が進むかもしれないが、ケニアでは未だ馴染みのある食品とはいえず、普及活動が進められている段階だ。将来的に災害や危機発生時にケニアでもインスタントヌードルの有用性が認識されるかもしれない。

 

〈直撃するウンガ不足〉

 ケニア北部あるいは北東部を直撃した干ばつの影響で、ウンガの値段が上昇したり、品不足になっている現状があることをご存知だろうか。現在でも品不足気味の状況は変わらず、選挙後暴力対策用の備蓄も相まって、ウンガの需要と供給のギャップは拡大している。ケニア政府はウンガ対策で後手に回り、未だ十分な対策が実行されているとはいえない。

 国民の主食が不足気味となると。一体誰が被害を被るのか。それは多くの場合、経済的な弱者、つまり貧困層や下位中間層だろう。人口比で見た彼らは国民の多数派を形成している。こうしたウンガ不足が選挙結果に直接的な影響を与えることは最早避けられることではなく、選挙を振り返ったときの一番のターニングポイントとなることだろう。食が豊富で多様な我々日本人には理解しきれないかもしれないが、こうした経済的に弱い立場の者にとって、ウンガを唯一の生命線と認識しているものも相当数いるだろう。筆者の調査チームは全てスラム住民で構成されている(しかし、カレッジ卒業者や大学卒業者が大半であり、ナイロビ大卒の調査員もいる)。彼らから聞き取りを行うと、暴力が間近に迫っている中、ウンガ不足が与える精神的負担は甚大であると言わざるを得ない。

 

〈ナイロビ市民の暴力認識〉

 多くのナイロビ市民にとって、2017年選挙後暴力とは「可能性がある」とか「可能性が高い」とかではなく、むしろ暴力発生を前提とした食料確保が必要な状況と認識されていることだろう。暴力の有無を論じる段階と暴力を前提に備える段階とでは天と地ほどの差がある。調査員からの聞き取りによると、2013年選挙と比較した時、今回の対応には強い危機感を感じ取っているようである。その点には筆者も同感である。今回選挙は前回選挙とは明らかに性質が違うものであり、暴力が発生することを止められない構造的問題がある。本稿ではそれらに対する説明を省くが、日本人の我々も暴力発生を前提とした行動が必要があると指摘したい。

 ナイロビ市民、いや、ケニア国民には2008年の選挙後暴力は未だ過去のものではなく、現在もその恐怖を覚えているものが多い。悲惨な過去から得られた教訓が現在の彼らの対応を促しているのならば、やりきれない気持ちを感じる。しかし、備えが必要なことに間違いはない。何もないことが一番であるが、状況はそれほど楽観的ではない。

 

〈日本人に必要な備えとは〉

 基本的な安全対策は大使館から指示に従えば間違いないだろう。2008年の暴動時に被害者を出さなかった大使館の対応は素晴らしく、適切であった。今回も大使館の指示に従うことを前提に、必要であればその他の対応を加えていくということがセオリーになる。

 何点か状況を確認すると、必要なことが見えてくるかもしれない。先ず、ナイロビ市民と同様に飲食物の備蓄を勧めるべきだ。選挙が近づくに連れて品薄状態は進むことだろう。早期の行動が重要である。加えて、十分な現金(シリング、米ドル)の確保だ。暴動が与える社会的影響は計り知れない部分があり、カードを所持しているだけでは対策は十分とは言えないだろう。危機が発生したときに強いキャッシャを確保し、場合によって別地域の避難を行える体制を整えておけば最善である。

 日本人コミュニティの中で危機が過ぎるまで留まれば、おそらく大きな問題にならないと想定している。しかし、近年ではケニア人コミュニティに近い立ち位置で活動されている方も増えているため、ぜひ十分な警戒と備えをもってほしいと思う。

人生で一番重い握手の話

 私はケニアで会社を立ち上げ、事業を開始する直前の立場です。事業の中身はWEBメディアと調査(家計&意識調査)を行う予定で、既に取材や調査を精力的に行っており、これから情報を発信していく段階にあります。

 この事業が今後ケニアにとって、日本にとって、世界にとって必要なものだという確信があります。この事業をやらなければならないという決意と覚悟があります。しかし、「なんでそのビジネスをやろうとしているの?」という当たり前の疑問に対して、上手く伝えることができていないという想いもありました。正直、色々な思いがありすぎて、上手く言葉にできないのです。だから、少しだけ自分語りをさせて欲しいと思い、この記事を書くことにしました。

 

 私は元々大学院で開発研究を行っており、専門領域はケニアにおける紛争や市民暴力でした。大学院時代は2007/8年に起こったPEV(Post-Election violence、選挙後暴力)と呼べれる大規模な暴動(国内紛争)の調査のためケニアで現地調査を行い、大学院と大学の合同調査チームの一員として2013年に暴力の被害者側を、そして翌年に個人として加害者側(とされている)の村の全村調査を行いました。この研究成果は指導教官との共著論文として、書籍にも掲載されました。これは、2013年の合同調査終了後、加害者側村の調査を行うための事前調査を行っていた時の話です。

 

 

〈平和な村の現状、忘れざる歴史〉

 チームのメンバーが帰国する中、私は二人でケニアの農村を歩いていた。傍らにはリサーチパートナーの男がいる。ここら辺で活動しているコミュニティワーカーで、かなりそそっかしい男だが、実直で明るく、頼りになる男だ。

 乾いた空気が喉を刺激する中、私は空を仰ぎ見た。よく晴れており、雲は少なかった。この地域の天候は正直だが変化が激しく、雲が出始めると途端に気温が下がり、大量の雨が降り出し、時には雹が降ることもあった。一度雨が降り出すと舗装されていない道路は途端にぬかるみ、まるで底なし沼のようになることもある。私達はゴム長靴をぺったんぺったんと鳴らし、ひび割れた地面を踏みしめ、汗を流しながら一軒一軒民家を歩き回った。

 歩けど歩けど、なんの変哲もない、ケニアの牧歌的な農村が続く。たまに頭上でひばりのような小鳥が鳴き、道行く人は日本から来た異邦人に優しく挨拶をしてくれ、子供たちは「チャイニーズ(中国人)!ハバリ(調子はどう)!?」と、アジアから来た珍客に声をかけてくる。そして、だるまさんが転んだでも遊んでいるかの様に私の後をついてきて、私が振り向くとキャッキャッと逃げ出していった。実際に現場を歩いても尚、いや、実際に現場を歩いたからこそ、五年前にこの地域で「ケニア史上最悪の悲劇」とまで形容された凄惨な事件が起こったとは信じられなかった。しかし、調査を進めるに連れて、ここで悲劇が起きたことを思い知らされるようになるまで、さほど時間はかからなかった。

 

〈消えぬPEVの記憶〉

 調査は難航を極めた。今回の調査は、翌年に予定する対象村Xの調査が果たして可能かどうかを見極めるため、周辺の農村を回って情報を集めるためのものだった。近年の紛争研究ではミクロ家計調査を基にした政治的、経済的、そして社会的な要素を盛り込んだ調査手法が開発されており、同時にその難しさが論点となっていた。

 これは少し考えれば分かることで、紛争発生地を練り歩き、情勢が不安定な中で被害者や加害者に対して聞き取り調査を行うという、調査実行者にまで危険が及ぶ可能性が高い手法だからだ。しかも、定性的な聞き取り調査ならば明らかに危険な者は除外して調査を勧めることができるものの、定量調査では相手が誰であっても、たとえばこちらに明らかな敵意や不信があったとしても、対象がその村の住民である限りは調査対象者から除外することはできない。予定する調査は被害者側ではなく加害者側の村で、あまり前例のないことだった。対象村Xは暴動時の加害者が多く居住しているという村だった。

 こうした状況下で周辺農村の住民に対する調査を進めたが、厄介事や危険に巻き込まれたくはない村民が多く、あるいは調査そのものに対する高い警戒心によって、口を閉ざす者も少なくはなかった。ケニアでは一概に調査に対する警戒心が高い、といっていいだろう。これは多くの場合政府や政府よりの公的機関に対する恐れが強いため関わりを持ちたがらず、能動的に調査に協力するものが少ないからだといえる。たとえ調査実施者が政府関係者ではなくても、調査アレルギーとでもいうものが強く影響している。

 私とパートナーは住民の不安を和らげ、こちらの目的を明らかにし、調査に協力してくれるように辛抱強く歩き続けた。日本人とケニア人のペアに対する不信や疑念は深かったが、それでも住民が信頼してくれるまで歩き続けることを決心していた。流した汗の分だけ信頼を得られるのではないかと、パートナーと何度も話しあっていたためだ。その結果、PEVという忘れがたい恐怖をその身に刻みながらも次第に多くの住民が口を開き、助言をしてくれるようになった。彼らに対するは感謝を今でも忘れることはできない。

 

〈ある男の独白〉

 いつもの様に農村を歩いていたとき、私達はいつも遠巻きに眺めていた小広い原っぱのようなところに、家が一軒あるのに気がついた。入り口は小さく、枯れ木と草のバリケードに覆われていたため、これまで見落としてしまっていたようである。よくよく見ると、その原っぱはよく手入れがされていて、端には目立たぬように車が二台止めてあった。周辺の農村で車を所有しているものは数えるほどであり、明らかに中間層以上の世帯であることが分かった。

 調査に協力してもらおうと入り口から家の方に向かって声をかけたが、返事はなかった。さてどうしょうか、少し休憩でもしようかとパートナーと話していると、中から怪訝な顔をした男性が歩いてくるのが見えた。

「お前たち、ここで何をしている」

「私達は学術的な調査を行うため、この一帯を歩いている者です。これまで村長を含め、多くの方に協力していただきました。ぜひ貴方にも話を聞かせていただけないでしょうか」

 私は質問表を片手に、汗をかきながら必死に訴えた。男性の表情が晴れることはなかったし調査に協力するとも答えてくれなかったが、あまりに疲労困憊な私達を見て、とりあえずお茶でも飲めと庭に招いてくれた。

 どうやら私達が原っぱだと思っていたところは、彼の家の庭であるようだった。周辺の農村を歩き回ったが、ここまで広い土地を所有している世帯はなかった。私達は椅子に座りながら、彼が持ってきたお茶を飲みながら一休みをした。本題に入る前に、先ずは世間話から入った。いきなり調査の説明をしても、調査に警戒心をもっている人を驚かせ、より警戒されるだけだからだ。この前雹が降った時は背中にバチバチあたり痣(あざ)が消えなかったとか、履きっぱなしのゴム長靴の中の臭いがひどいことになっているだとか、実家の祖父母は農家で玉ねぎとメイズを作っているだとか、くだらない話も交えながら男性の反応を見てみた。

 男性はまるで何かを拒んでいるかのように、表情を変えなかった。これまで多くの住民に対して聞き取りを行っていたが、彼の様な反応は初めてであった。

 世間話にも限界がきたため、少しずつ調査のことを話し始めた。この周辺の地域で何があったかは知っている。それが今でも忘れられないことだということも。外部者がこんなことを聞くことはとても失礼なことなのかもしれない。それでも、話を聞かせてはくれないだろうか。無理にとは言わない。ただ、現状を伝えて、理解してくれる人を増やして、少しでも良い方向に変えることができたら。そんなことを彼に伝えた記憶がある。

 彼の表情は変わらなかった。既に数十分が経過している。聞き取りがスムーズにいけば、一世帯分の調査が終わっている頃だ。

 パートナーが小声で話しかけてきた。

「マサ、もう別の世帯の調査に切り替えた方がいいかもしれない。彼は話す気がないようだし、ここで時間を使いすぎたら今日の分の調査が終わらない」

 パートナーの言い分はもっともだった。無理に話を聞こうとしては、私達にとっても彼にとっても負担になるだけだ。聞き取り相手の心情を慮って、決して話すことを強制しないというのが、私とパートナーの約束でもあった。しかし、私はこう答えた。

「君の言うとおりだ。しかし、彼には何か違うものを感じる。話そうとしていないかもしれないが、何か迷っている様にも見える。こういう相手だからこそ、話を聞かなければならないと思うんだ。俺は彼の話が聞きたい。ゆっくりやろう」

 これまでバックパックを担いで、いろいろな国に周り、時には軍事政権下のミャンマーでタブーとされている話題にまで踏み込み、多くの話を聞いてきた。本当に彼が話したがらないなら、私にはそれが分かるはずだ。しかし、目の前にいる彼は、話そうとはしないが、どういうわけか話したがっているようにも見える。私は彼が口を開くまで待ってみようと思った。ゆっくりとお茶を飲みながら、彼が反応しないにも関わらず、たまに思い出したかのように話しかけてみた。今日はいい天気だな。ここは緑も多いし、美しい村だ。すれ違う人も親切に挨拶をしてくれる。子供がからかってくるのはちょっとまいるなあ。ここで「あんなこと」があったなんて、やっぱり自分には信じられないよ。

 それは独り言に近いものだった。

 そんなことを数十分続けていたら、男性が小さい声でぽつりと囁いた。それは唐突だったが、自分には妙に自然に思えた。一度口を開いた彼は、小さい声ながら、しかし途切れることなく話し始めた。彼は私というより、自分自身に話しかけているようだった。彼の言葉もまた、独り言に近いものだった。

「私はここでは少数派の民族なんだ。少数派の民族がどういう気持でここで生きているか、分かるだろうか。私は車も持っているし、大きな土地も持っている。とても目立つんだ。少数派の民族の人間がどういう気持でここで生きているか、分かるだろうか。とても怖いんだ。周囲の人が襲ってくるかもしれない。ただでさえあんなことがあったのに。ここで生きることは私みたいな人間にとって、とても難しいことなんだよ」

 彼の独り言をただ黙って聞いていた。彼が話す度に、彼が何故あんな表情をしていたか、話し出せなかったのか、少しずつ理解しはじめた。彼は長年、この地でそうした不安や恐怖を抱えながら生きていたのだろう。周辺の村を調査していて、この一帯が決して裕福ではなく、むしろ貧しい地域なことは分かっていた。さらに、悲劇が起こった村からほど近く、この村の中でも暴力が猛威をふるっていた。その不安や恐怖は、PEVが終わって五年が経っても決して薄まることはなかったのだ。彼は日常の中でそうした恐怖や不安と戦ってきたのだろう。彼が何故話すことを躊躇したか、話し出せなかったかが、胸が痛くなるほど伝わってきた。同時に、私は無理に彼の話を聞こうとしたことを後悔した。日本人の私には決して理解し切れないのではないかと思えるほど、ここでは民族と暴力が深く結びついているようだった。

 

〈人生で一番重い握手〉

 彼の話が終わり、私達はまた別の世帯へ移動しようとしていた。

「ありがとう。ただただ、感謝している。貴方の話をきけてよかった。私達も、貴方から聞いた話を忘れず、もっと多くの人の想いに接していきたい」

 彼は何も答えなかったが、黙って私の目を見つめながらを握手をした。重い、とても重い握手だった。

 私も彼の目をじっと見つめたまま、少しの間、動くことができなくなった。彼の顔には、これまでの人生に対する疲れや、やりきれなさの様なものが顔を覗かせていた。それに反して、彼の目は何かを強烈に訴えているかのようだった。私達は無言で手を繋ぎ続け、その間一言も発することはなかった。しかし、彼の目は私に向かって、確かに叫び続けていた。

 頼む、と。

 彼と別れ、私達は次の世帯へ向かって、道を歩いていた。その間、私は彼の最後の言葉について考え続けていた。正直、彼が私に向かって何を伝えたかったのか、何を頼まれたのかは今でも分からない。それでも、最後の言葉が頭からこびりついて離れることはできなかった。

 私はとうとう歩くことができなくなり、後ろを振り返り、彼の家がある方を見つめた。この先、彼の言葉は伝わるのだろうか。だとしたら、一体誰が伝えるのだろうか。普通の調査者ならば、聞き取りを辞めてすぐに次の世帯へ移ってしまうのではないか。一体彼は何故私に打ち明けてくれたのだろうか。彼の叫びが、誰かに届くことはあるのだろうか。

 私はきっとその時、立ち止まってしまったのだと思う。立ち止まったまま、今でもそこから一歩も動けずにいるのだと思う。普通ならば途上国で見たことなど、日本で過ごす日常の中に消えてしまえばいいのかもしれない。自然に消えていくことなのかもしれない。しかし私にはそれができず、今でもあの日にした握手の重みが右手に残っている。

 彼の言葉を伝えるべきだ。彼の言葉を伝えなければならない。そうした思いが今でも胸の中にある。ただ、知ってほしい。こういう現状があることを。その気持を変えることができなかった。

 PEVが終わってから10年、彼の叫びを聞いてから4年が経つ。昨今のアフリカ熱の高まりは、飛ぶ鳥を落とす勢いである。ケニアではTICAD6が終わり、サブサハラ・アフリカの中でも最も有望な投資先として注目を集めている。それらの言説を一概に否定しようとは思わない。しかし私はこの国が抱える現状を、より冷静に、より深くしらなければ、この先この国で大きな問題が起こるのではないかと思っている。彼の抱えている問題は、別に彼だけの特別な問題ではなく、多くのケニア人が抱える共通した問題だからである。そうした問題は研究や報道で伝えられることはあるが、ケニアを取り巻く熱狂の中に消えてしまっている。

 あの日にした握手の重みが今も右手に残っている。冷静に、深く、人々の思いによりそった声を、そのまま届けたい。それがあの日から今も変わらない、私の願いだ。

ナイロビスーパーマーケットありすぎやろ問題

 ナイロビの街中を歩いていると、チェーンスーパーマーケットがよく目立つ。近頃借金や給料遅配や店舗撤退が何かと話題のスーパーマーケットだが、現場を歩いていると「そりゃそうなるやろ」と思う場面もちらほら。

 

 たとえばこんな感じである。通りの向かいにスーパーマーケットが向かい合うのはのは序の口。歩いて2~3分のところにあるのもまだまだ。凄い例になると有力スーパーマーケットが仲良く隣り合う形で店舗展開がされている場合もある。若干の差はあれど、取り扱う商品に目立った違いはない。価格も同様である。

 

 はっきりと差別化できていないにも関わらず隣り合うこのような店舗展開をしていれば、当然採算をとることは難しくなる。チェーンスーパーマーケット業界全体を見ても供給過剰な状況といっていいだろう。

 

 また、新興中間層地域では、ショッピングモール内にスーパーマーケットを開いたものの、すぐに撤退する例も目立つ。ところによっては休日は賑わいをみせるショッピングモールもあるが、概して空き店舗が目立ち、ひどいところでは休日なのにゴーストタウンならぬゴーストモールと化している。

 

 こうした出店と退店を繰り返しながら、スピーディーな経営を目指しているという説明も聞いたことはある。しかしその中身はどうもイケイケとは限らないようである。