たとえ言葉が風だとしても~開発的ビジネス論序論~

開発とビジネスの架橋を目指した新たなシステムを議論・検討・批判する場です。

世論調査が民意と乖離するとき~ケニアの2017年選挙考察~

〈空虚な数字〉

 

 選挙の話題はケニアで最もホットなトピックであり、日常会話の中でも喧々諤々の議論を巻き起こしている。先日、弊社の社員と選挙に関する話題になった時、私は社員にこう伝えた。「ケニアのマスメディアが伝える世論調査で、信頼できる数値を出しているものはない。数字という分かりやすさに翻弄されてはならない」。奇しくも今日のDaily nationでケニア政治学者である、ガブリエル・リンチが選挙と世論調査に関する記事を書いていたので、改めてこの問題について考えてみよう。リンチの記事のリンクは以下のとおりである。

LYNCH: Presidential election could be won in first round - Daily Nation

〈バイアス(偏り)と社会状況〉

 

 先ず始めに断りをいれておくと、これは世論調査を実施している会社の能力の問題ではない。連日紙面では様々な調査会社が行っている世論調査のデータを公表しているが、これらはきちんとした調査設計を元に行われているものだろうと思う。特にIpsosは筆者が信頼する機関であり、そのデータはとても参考にさせてもらっている。それにも関わらず、なぜリンチが「Now, clearly, opinion polls are not an exact science(現在明らかに、選挙に関する世論調査は科学的なものではない)」というような状況になっているのだろうか。リンチの議論はリンクを参照してほしいが、私はケニアで選挙に関する確度の高い世論調査を実施できる機関や組織は存在しないと考えている。理由は主に1. 回答者にバイアスがかかっていること、そして、2. 政治的意見をストレートに発言できないケニアの社会状況を挙げたい。

 先ずは回答者のバイアスについて考えてみよう。選挙管理委員会であるIEBCが公表している投票者として登録された人数は19,611,423人である。それに対して、調査会社が実際に聞き取りを行っている人数はおよそ2000~4000人である。約2000万人に対してそれだけの人数で本当に信頼できるのかという疑問はありそうだが、統計学的にはこれだけの人数を調査すればある一定の信頼レベルを保った、有意な調査ということになる。机上の調査設計としてはまあ問題はない。

 それでは実際に調査を行う上でどのような問題があるのかという論点に移ろう。現在話題に上がっている調査の多くは電話による聞き取り調査である。これは調査会社がストックしている被質問者候補に対して行われているものであり、バイアスがここにある。本来は投票登録者全体(すなわち約2000万人)からランダムに聞き取りを行わなければ確度の高いデータは得られないが、調査会社がストックしているリストはせいぜい数十万程度であろう。なおかつ「調査に対して(取りあえずは)回答する」人達というグループである。実際の投票登録者には仕事が忙しく調査に回答できないものや地方で電気利用が難しく携帯電話の電源を入れたがらない者など、多種多様な非協力者も含まれるだろう。これら調査に積極的に協力するものからのみ得られたデータを投票登録者全体のデータとして代表することはいささか違和感が生じる。

 より重大な問題はケニアの社会状況であろう。多くのケニア人は調査、特に政治に関する調査に非協力的である。これは自らの政治意見を明らかにすることで、自身が所属しているコミュニティから迫害されたり、時には攻撃されるという深刻な事態に発展する危険性があるためである。筆者が実際に聞き取りを行った事例を紹介したい。現在とある地方都市のMCA(日本で言えば市議会議員の様な立ち位置か)をしている男性は、2007年選挙時に所属コミュニティから支持政党が異なることを理由に襲撃を受けた。家は焼き討ちにあい、妻は殺害された。男性の父は負傷して足に後遺症が残り、男性自身も生死の境を三週間さまよったという。民族と政党、そしてそれらをとりまく利権と金の問題はケニアに深く根付いており、人々は日常レベルで政治と権力の脅威にさらされている。残念なことに、こうした政治意見と支持政党をめぐる対立と暴力はケニアにおいて珍しいものではなく、調査主体が如何に被質問者に対する匿名性を約束しようとも、その恐怖まではぬぐいさることはできない。暴力が一旦沈静化したように見えても、少しきっかけを与えただけで何時でも再燃の危険があるものである。世論調査の中には街角でのインタビュー形式のものもあるが、こうした状況で自らの政治意見をストレートに伝えられるものは少ないだろう。もし答えられるものがいるとすれば、おそらく経済的に自立し、コミュニティから一定の距離を保てるものか、あるいは自身が権力を保持しているものであろう。つまり、選挙に関する世論調査に好意的に答えるもの、あるいは答えられるものは必ずしも投票登録者を代表していない。そのため、得られた数字は確度が低いものである。

 

〈実現可能かつ意味のない調査〉

  こうした背景を見た上で再度結論付けるならば、ケニアにおいて選挙に関する確度の高い調査を行える機関は無いということである。取り敢えず数千人の回答を集めることはできる。しかし、そのデータがどこまで信頼に足るデータか、対象全体を代表しているデータかという疑問は解消されない。回答者の安全を確保するため、匿名性を持たせたネット調査はどうだろうか。ケニアでネットに頻繁にアクセスできる人間、それも調査の回答のためにアクセスできる人間は限られているため、やはりバイアスを消しきれない。これまで行われている世論調査は一定の参考にはなることを認めつつも、選挙結果に関しては神のみぞ知るということなのだろうか。

 一点付け加えるならば、今回の選挙の最大の争点はもはや得票数ではなく、透明性に関わるものである。またの機会があればこちらも紹介したい。

「ChineseからJapaneseになる私」

 私には密かに自慢していることがある。それは、「私がよく歩くエリアでは、私はJapaneseと声をかけられる」ことだ。何が何やらさっぱりな方もいるだろうが、こちらの現状を知っている方からは、「本当ですか、それは凄いですね」と褒めてくださる方もいる。おお、その価値と意味をわかっていただけるか。汗水垂らして現場を歩いている甲斐があるというものだ。

 

 上記の自慢について、少々説明が必要だろう。

 

 現在、サブサハラ・アフリカ諸国で東アジア人を見かけたとき、ほとんどの場合で現地人はそれを中国人と認識する状況である。一昔前までは東アジア人=日本人として声をかけられた時代があったそうだが、残念ながらそれも今は昔のことである。如何せん、こちらに入り込んでいる人口が絶対的に違うのだからしょうがない。それに近年では援助やビジネスでの存在感は抜群であり、ケニアの一般市民の中からは中国語学校に通い、将来中国の建設会社に入りたいという若者まで出始めている。エリート層が中国政府によって各国で展開している孔子学院に入学するということとはレベルが異なり、ここでは既に一般市民のステップアップ先として、中国というキーワードが関わり始めている意味は大きいだろう。国によっては反中感情が大きい国もあるが(ザンビアなどは典型的だろう)、アフロバロメーターの調査からも分かるように、過半数以上が中国に対して、様々な思惑はあれど、ポジティブなイメージを持っているのが現実である。

 

 そんな訳で、普通に歩いていてもJapaneseと声を掛けられることはまずない。しかし、今後私のビジネスを進める上で、私が日本人であると周知しておくことは重要になってくる。そのため、このようなやり方をよく実践している。私が新しいエリアで活動するとき、たいてい私の土台となる対象が宿、食堂、そしてキオスク(小売商店)だ。私が踏み入るエリアは日本人だけなく現地人ですら危険な場所もあり、そのため初めは活動範囲を広げることはない。冒険RPGゲームではとりあえず宿と酒場に行けば情報が集まるなんてことがあったりするが、感覚的にはそれに近いかもしれない。用事がなくても宿や食堂、キオスクに出入りし、何度か実際に利用する。他愛ない軽口がこういう時にはとても役立ち、それに加えいつも同じオーダーをすることでこちらの存在を印象付ける。ここで一番重要なことは、私という人間が商品を受け取ったときにちゃんとお金を支払う、つまり約束を守る人間だということ、そしてその宿や店のサービスと商品を気に入っているから通っていることを相手に理解してもらうことだ。

 

 例えば食堂にいくときは「いやー色々レストランはあるけど、ここのウガリはいいね。俺が昔滞在していた村のばあちゃんが作ってくれたウガリに似ているよ」、なんて言葉を添える。相手からすれば、なんでこの中国人はケニアの村に滞在したことがあるんだ、しかもチョップスティックは使わないのか等と次第に興味が高まってくる。相手がこちらのオーダーを覚えてきたくらいの段階で、もう少し踏み込む。「お、いつもの覚えてくれたんだ!有難う、ミスター…?そういえばおっちゃんの名前聞いてなかったよね?俺は友達からマサって呼ばれてるよ。日本人だ」。こんな感じで切り出すと、多くは「お前日本人だったのか。中国人だと思ったよ」のくだりがあり、後は自然に仲良くなれる。その後はさらにこちらを信用させると、今度は向こうから話しかけてきたり、こちらの頼み事を聞いてもらえるようになる(余談だが、ダウンタウンにはツケがきく行きつけの店がいくつかある)。そして、相手の信用度合いに応じて、活動エリアを広げていったり、全く別のエリアを歩くときは同じことの繰り返しだ。こうやって、私は次第にChineseからJapaneseと呼ばれるようになる状況を作っていく。裏を返せば、計算尽くで現場を歩けない人間は、危険なエリアには決して踏み入ってはならないし、私でもときに慢心してしまった場合は危ない目にあっている。くれぐれも慎重に、だ。

 

 これからアフリカを歩く日本人はどんどん増えていくだろう。残念ながら、現地人から中国人と誤認されて、トラブルに巻き込まれてしまうケースも存在する。時と場合によるが、こちらで長く活動したいという方には上記のやり方を試してみることをおすすめしたい。

「街に寄り添うミシンの歌」

 レポートを読み込んでいると外がだいぶ暗くなっていることに気づき、いつもよりも遅めの夕食を取るために街へ出た。少々レポートの内容に夢中になっていた様だ。空きっ腹を鳴らしながら、今日はニャマチョマ(牛の焼き肉)にしようか、たまにはマトゥンボ(モツ煮)にしようかと考えながら、ボロアパートの部屋を出て、馴染みの食堂へと歩き始めた。私の住んでいる街は主にミドルクラスの人々が生活しているとされているが、通りには街灯がほとんどなく、店から漏れ出る明かりや車のライトが道を照らす。つまり、ケニアでミドルクラスの街といってもそれはスラムや農村ではなく、はたまた高級住宅街でもない、そんな中間にある地域なのである。通りには未だに水をボトルに詰めて売り歩く者や、どこかのマーケットから仕入れてきた野菜を売る者、靴やアクセサリーを売る露天商がギュウギュウに詰まった、ケニア庶民の風情が漂う「味わい深い」街でもある。

 

 アパートから出てすぐのところで、カタタタッという規則的な音が耳に入り込んできた。無意識に音の出る方へ顔を向けた。そこにはいつも通り過ぎていた服屋があった。私の会社のオフィスへ続く道の途中にある店で、これから仕事に行こうとしていたときには耳に入ってこなかった音だった。なんとなくその店を眺めていると、男性がミシンで服をあつらえている様子が浮かび上がってきた。椅子に腰掛け、木の机の上にあるミシンを操り、布から服を作る最中である。暗い外からみると、室内の明かりが窓枠によって四角に切り取られ、まるで舞台か何かの様な情景を思い起こさせた。不思議なもので、まぐれもなく日常の一風景にすぎないはずなのに、近くて遠く感じる、どこか幻想的な肌触りを覚えた。それは多分、古く懐かしいミシンの音を聞いたせいだった。

 

男性は意気込むほどでもなく、かといって淡々としている様でもなく、当たり前の様に手を動かし、布を服に仕立てていく。布がみるみるうちにシャツに生まれ変わっていく。その様子を見ていると、彼が服を作るということが好きなのだということがすぐにわかる、そんな仕事ぶりだった。ミシンの音が規則的になり、一息つき、また規則的に鳴り響いている。不意に私の実家でも母がよくミシンで雑巾を作ったり、そういえば学芸会の衣装を作ってくれたことを思い出した。あの頃は夕食が終わった後、母はよくミシンを使って何かを作ってくれていたが、いつの間にか忘れかけていた。あの時の母はどのような表情をしていただろうか。彼の様な清々しく、暖かみのある表情をしていただろうか。自分はケニアにいるのに、思い馳せるのは日本のことなのが、どこか可笑しく思えた。遠い過去の出来事を今に繋げてくれたミシンの音が、何故かとても大切なものに感じる。そうか、当たり前のことなのかもしれないけど、ここでもミシンはあるのだ。しかも、人々の生活に寄り添う様に。そんな当たり前を忘れかけていた。

 

 流石に腹が空いてきたので私は店を離れることにした。少し歩くと、音はたちまち街の喧騒の中に隠れてしまった。ただ、頭の中で反芻する音は鳴り止まなかった。せっかく思い出した音を、今度はもう少し大切にしようか。また少ししたら、この音を聞きたくなってあの店に立ち寄るかもしれないと、ぼんやりした頭で考えていた。

「不確実性の世界」

 

 ドナルド・トランプ氏が大統領に就任しましたね。ブレキジットといい、現地大衆の支持が国際世論と乖離する事態が続きます。

 今や世界は予測の付かないルール下でゲームを戦わざるをえない状態に陥りつつあるように思えます。現行のグローバル社会を支配する二大主義(資本主義、自由民主主義)に対する懐疑論は今後一層強まっていくことでしょう。これは市民間で生じる経済的な動揺が大きく影響していると考えています。つまり、一部の新興層、富裕層を除いた大衆の経済レベルが悪化し、これまで比較的順調に運営されていたシステムを疑わざるをえない状況に陥りつつあるということです。

 先ずは現行の資本主義制度に関する私見を。富の格差が増大し、ゼロサムゲームが行われる舞台の規模が大きくなり、歯止めがきかない状況であると認識しています。過去ならば政府などが富の再分配に一定程度の影響力を持っていたでしょうが、現在では巨大企業の影響力が大きくなりすぎ、トップ層がより強大な権益を持っているため、調整役を担うものがいなくなっているのではないでしょうか。少なくとも、調整力の衰弱はあるでしょう。元々資本主義にはこのような性質が存在していることは認識されていましたが、これまで様々なアクターが関与してそれなりのバランスを保っていたシステムは、一部のアクターがパワーバランスを破壊したために、大衆の経済基盤を支えるシステムとしては機能不全を起こしているように見えます。だからこそ、修正資本主義論などがあるように、資本主義のアイディアを引き継ぎつつ、大衆に寄与する新たな資本主義システムの模索が盛んに行われていると認識しています。

 次に自由民主主義(以下、民主主義とする)についての私見を。民主主義は単なる「多数決の票取りゲーム」ではありません。民主主義を構成する人間に市民としての能力と責任がない場合、民主主義は機能しません。本来参政権は多くの血と汗の努力によって市民がかちとった権利のはずですが、現在多くの人々が無自覚にこの権利のみを享受し、責任を軽視しがちです。市民が自ら立ち上がろうとする意思がない状況下では、強くリーダーシップのある指導者が求められます。また、次代の指導者の座を狙うものは、こういう状況をとても良く認識することになります。そうした状況下では、指導者の勝ちやすいパターンが歴史上何度も繰り返されており、例えば①仮想敵を作り出し、人々の不満や不安を煽り、集中させる、②自らを仮想敵の打破や現状の破壊と再生を訴える英雄として認識させる、③自らを反対するものには徹底的に敵対しなければならないため、言動が過激になる、という流れが多いでしょう。どこかで聞いた話ではないでしょうか。少しドキッとしませんか。一番の問題は、そもそも解決が困難な問題に対して耳障りの良い公約を掲げたとして、果たして実現可能性がどれほどあるかということです。トランプ氏がぶちあげた国境に万里の長城を建設するなどは論外でしょう。別視点からみれば、アメリカ国民はそうした荒唐無稽な発言をするものを支持せざるを得ないほど追い詰められているという視点も持つべきでしょうか。

 現行の世界を支配する二大主義の動揺によって、これからどんどん予測が難しくなる世界、つまり、不確実性の高い世界になることが予想されます。こうした状況下では、人間は守りに入り、じっとしている人の数が多くなるでしょう。株価の乱高下やリスク資金の引き上げ、外交上の緊張など、良い影響は少ないでしょう。こうした状況だからこそ、歴史を振り返ることで、今後の情勢を理解する杖あるいはスコープとしたいところです。

ナイロビ小咄20161102 「真夜中の侵入者」他2本

「真夜中の侵入者」

 

注:前提として、筆者はナイロビにあるボロアパートに住んでおり、窓のノブがほとんどぶっ壊れていて、人間以外はフリースルー状態です。そんなアパートでの出来事です。

 

PART1

??「ガサゴソガサゴソ」

筆者「えっ」

ヤモリ「やあ」

筆者「なんだ、ヤモリか」

Safe!!

 

PART2

??「ガサゴソガサゴソ」

筆者「えっ」

ゴキブリ「やあ」

筆者「えっ」

ゴキブリ「ノロノロ~」

筆者「なんだ、ゴキブリか」

Safe!?

 

PART3

??「ガサゴソガサゴソ」

筆者「えっ」

ゴキブリ「やあ」

筆者「えっ」

ゴキブリ「カサカサカサカサッ」

筆者「キイィエエェェァッ!!ゴキブリじゃあああアア嗚呼!?」

OUT!!

 

解説: どうもケニアではノロノロ動くゴキブリと、カサカサ俊敏なゴキブリの2種類が家に侵入してくるようです。しかもサイズ大きめです。筆者は道産子で、なんと地元にはゴキブリがいない地域で生まれ育ったので、ゴキブリに対する耐久がほぼありませんでした。ただ、こんな環境で生きていると次第に慣れてきて、今ではデッキブラシでゴキブリを叩き潰すことを躊躇わなくなりました。慣れって怖いね!たまに猫が家に侵入してくるときもあるよ!

 

「ゲストハウスのダンディー親父」

 

ナイロビのダウンタウンにある某宿…というよりバックパッカー宿で有名なNew Kenya Lodgeでのお話です。

 

その宿で私は4ヶ月ほど暮らしていて、今は別の地域に住んでいるものの、タウンに用事ある場合は結構顔を出しています。そんな日の出来事。

 

親父「なんだ、マサ。随分疲れてそうだな」

筆者「この頃会社の準備でキツイのよ。今日もアポがあるからタウンに来てるのに、連絡来ないしー」

親父「ちょっと待ってろ。今使ってない部屋の用意するから、そこで眠ればいい」

筆者「え、俺金持っていないよ」

親父「気にすんな。ここはお前ん家みたいなもんだから、寝ちまえ寝ちまえ。ワハハハっ!」

筆者「親父…(´;ω;`)」

 

結局3時間くらい熟睡しましたとさ。今度何かお土産持っていこう。

 

「フライドチキン屋のイカしたおばちゃん」

 

そこの宿からすぐ近くにあるフライドチキン屋さん。宿に住んでいたときはほぼ毎日使わせていただきました。お金が無いとファストフードにはしるよね…。

 

筆者「はーい、おばちゃん。また来たよ」

おばちゃん「ハロー、マサ。いつものオーダー?」

筆者「いや、今日はチップスにハーフKGのチキンで」

おばちゃん「あいよー」

筆者「あ、ごめんおばちゃん。小銭が無いから1000シリングからくずしてくれる?大きくて悪いんだけど」

おばちゃん「それなら私が払っておくから今度来た時でいいよ。私今度来るのが金曜日だから、その時来てね」

筆者「えっ、さすがに悪いよ」

おばちゃん「マサはいいのよ。またうちのお店に来てくれたらそれでOK!」

筆者「おばちゃん…(´;ω;`)」

 

ダウンタウンは危険も多々ありますし、日本人が過ごす場所としては推奨できない部分が多いですが、一度彼らと良い関係が作れると本当に親身になって助けてくれるときも多くあります。彼らに助けてもらえなかったら今頃筆者は野垂れ死んでいるやも…。本当、asante sana(とってもありがとう)です。

開発援助と国際協力と開発の違いとは

 開発、と聞いたところで、多くの方は疑問符を抱かざるを得ないでしょう。「え、機械か何かで新しいものでも作ってるの?」と思われる方が大多数でしょうか。いえいえ、ここでいう開発とはそうした技術開発のことではなく、ざっくり説明するならば主に途上国などで貧困削減やインフラ開発、保健衛生の向上、行政官のトレーニングなどを行うことで、人々が今よりも豊かな暮らしを実現することを目的とした活動であり、またその過程のことを指します。

 

 ここまで話すと、読者の皆様の中には、「あ、知ってる!国際協力機構(JICA)がやっているODA(政府開発援助)のことだよね!?」と感づかれる方もいらっしゃるでしょう。とても物知りな方だと思います。もしかして途上国に関心を持たれている方でしょうか?ただ、細かーく説明すると厳密には微妙な違いがあるのです。今回はそのことについて説明をさせていただくと同時に、皆さん一人一人がどのスタンスで途上国だとか、世界だとかに向かい合うのがしっくりくるかなと考えてみる機会を提示することを目的として、この記事を書いています。

 

さて、本題に入る前に、先述したJICAってそもそも何をするところでしょうか?名前が国際協力機構ですから、国際協力を推進する機関だと思ってしまいますよね。だって、JICAのサイトでは以下のように説明があるのですから。

 

JICAは、日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っています。

JICAについて - JICA

 

 確かにJICAでも国際協力活動と呼ばれるものは一部で行われています。しかし、実際にはJICAの本分はODA事業≒開発事業の実施団体であり、こうした説明が余計理解をこんがらがらせているかもしれません。一つ一つその違いを見ていきましょう。

 

 先ずは開発援助とは何かをみていきましょう。開発援助とは第二次世界大戦後のマーシャルプランがその始まりであると言われています。大戦後のアメリカとソ連イデオロギー対立(民主主義(資本主義)VS共産主義)を発端に、両陣営が自陣営にできるだけ多くの国を加えようとあちこちで競り合った時期です。アメリカはこのマーシャルプランを戦後復興を名目としつつも、自陣営、つまり資本主義側に引き入れるために行った政策と言われています。つまり、開発援助とはそもそもの始まりが政策であるため、どうしても国や上層部の意向を反映せざるを得ない性質を持つことは理解しなければならないでしょう。現在でも外務省が中核となりODA事業の企画・立案・調整が行われ、JICAがその事業を実施しています。こうした構図を見て、「JICAは外務省の下請け団体だ」という意見もあります。JICA職員の方からすれば「いや、我々は開発援助のプロである。断じて下請けではない!」と言いたくなるところかもしれませんね。開発援助が政策であることはよく分かる一例が対中国への援助ではないでしょうか。戦後賠償を放棄した見返りに日本は多くの開発事業を中国で展開してきた歴史があり、それは近年中国が驚異的に発展してきた最中でも行われてきました。私が学生時代にJICAや外務省の方とお話をさせていただいたときにも、対中援助をどのように日本国民に説明すればよいか、少々窮屈そうであった印象を受けました。スパッと「これは政策であり、国益のためだ」といっても反対する人はいるだろうし、中々難しい状況であったと推察します。

 

 さて、話を国際協力へ移しましょう。国際協力って…、何でしょうね笑。すみません、今は世界で色々な活動が生まれていて、国際協力と呼ばれるものが何であるかを表現する良い定義が無いように思えます。Wikipediaでは「国際協力(こくさいきょうりょく)は、政府間、他国間、あるいは民間で行われる、国境を超えた援助・協力活動のことである。」と説明があるように、雑にいえば国境を超えた活動ならば何でも国際協力と呼べてしまえる状況なんですよ。ただ、個々の活動では開発援助を初め、緊急支援、CSR、ボランティアetc. と区別が出来るので、そうした活動の定義から漏れた活動を一般論として国際協力と呼ぶことはできるかもしれません。私の認識では多文化理解活動や市民ボランティア活動が一番国際協力という活動に近いでしょうか。あえて定義として表すならば、「非政府、非企業活動であり、市民が中心となり他国の理解と相互の支援を目的とした、草の根レベルの活動」となるでしょうか。協力とある以上、お互いにポジティブな影響を及ぼし合い、発展していくというニュアンスは含めるべきでしょうか。ただ、NGOが途上国へ井戸掘りに行くような活動でもNGO事業と区分できますし、中古品を途上国へ支援するような活動もどの組織が関わっているか、どこからお金が流れているかで活動区分が異なってきます。うーん、難しいです。良い定義があればぜひ教えてください。まあ、広義的な意味としてはWikipediaの定義として理解すれば問題ありませんが、それらの活動の種類や性質がかなり異なるため、自分は一体どの分野で携わりたいか、関わりたいかを再考することは必要となるかもしれません。

 

 最後に開発の話をしましょう。この開発という概念にも多くの定義がありますが、現在最もそれらの概念に近い定義はアマルティア・センという方が用いる定義ではないかと認識しています。その定義とは、開発とは「A process of expanding the real freedoms that people enjoy(人々が供与できる実体的諸自由の拡大の過程)」である、ということです。冒頭では貧困削減云々が必要であると申し上げていますが、なぜそれらが必要かというと、人々が選択、供与できる自由が拡大するためであるからです。例えば、日本でダイエットに勤しむ方と途上国でお金がなくて物が買えない方の摂取カロリーが同じくらいであるとします。しかし、前者は自らの意思で選んで物を「食べない」のに比べて、後者は金銭的制約のために物が「食べられない」のです。前者には自由があり、後者には自由がなく、したがって後者の方が自ら選択し、望み得る人生を送ってもらうために開発が必要である、というように開発という概念では考えることができます。開発と自由とは不可分の概念です。貧困削減や保健衛生サービスの供与、インフラ開発等などの開発事業が必要とされる根本的な目的意識としては、この開発≒自由の供与があるのです。この自由が多い状態が即ち豊かさと表現してもいいかもしれません。ですので、GDPが向上して貧困削減が成功したということがそのまま開発、豊かさの実現に単純には結びつかないという点は注意しなければなりません。つまり、内実をみなければいけないということですね。

 

 以上3つの概念(開発援助、国際協力、開発)を見比べて指摘しなければならないことは、現行の開発援助では必ずしも開発を実現する上で効果的に働いていないということです。確かに開発援助は歴史上最も開発に貢献してきた活動です。日本も戦後に世界銀行国際通貨基金からお金を借りて戦後復興事業を行い、それが多くの人々の開発の実現を成功させたでしょう。しかし、先述の通りに開発援助とは政策であり、それが本当に貧しく、貧困状態に陥っている方に届いているのかは疑問です。国家のトップレベルで決められたことが、草の根レベルで有効性を発揮しているかというと、現実はそうでない例も多数あります。開発援助が悪いというわけではなく、開発援助だけでは開発を実現させるためには不十分だということです。だからこそ、国際協力なり、新たな活動やシステムが求められる時代であるとも言えそうです。

 

これらを概観した上で、それでは自分はどのレベルで活動したいかな、関わりたいかなという方が一人でも多く活動に参加していただければ思います。