たとえ言葉が風だとしても~開発的ビジネス論序論~

開発とビジネスの架橋を目指した新たなシステムを議論・検討・批判する場です。

「街に寄り添うミシンの歌」

 レポートを読み込んでいると外がだいぶ暗くなっていることに気づき、いつもよりも遅めの夕食を取るために街へ出た。少々レポートの内容に夢中になっていた様だ。空きっ腹を鳴らしながら、今日はニャマチョマ(牛の焼き肉)にしようか、たまにはマトゥンボ(モツ煮)にしようかと考えながら、ボロアパートの部屋を出て、馴染みの食堂へと歩き始めた。私の住んでいる街は主にミドルクラスの人々が生活しているとされているが、通りには街灯がほとんどなく、店から漏れ出る明かりや車のライトが道を照らす。つまり、ケニアでミドルクラスの街といってもそれはスラムや農村ではなく、はたまた高級住宅街でもない、そんな中間にある地域なのである。通りには未だに水をボトルに詰めて売り歩く者や、どこかのマーケットから仕入れてきた野菜を売る者、靴やアクセサリーを売る露天商がギュウギュウに詰まった、ケニア庶民の風情が漂う「味わい深い」街でもある。

 

 アパートから出てすぐのところで、カタタタッという規則的な音が耳に入り込んできた。無意識に音の出る方へ顔を向けた。そこにはいつも通り過ぎていた服屋があった。私の会社のオフィスへ続く道の途中にある店で、これから仕事に行こうとしていたときには耳に入ってこなかった音だった。なんとなくその店を眺めていると、男性がミシンで服をあつらえている様子が浮かび上がってきた。椅子に腰掛け、木の机の上にあるミシンを操り、布から服を作る最中である。暗い外からみると、室内の明かりが窓枠によって四角に切り取られ、まるで舞台か何かの様な情景を思い起こさせた。不思議なもので、まぐれもなく日常の一風景にすぎないはずなのに、近くて遠く感じる、どこか幻想的な肌触りを覚えた。それは多分、古く懐かしいミシンの音を聞いたせいだった。

 

男性は意気込むほどでもなく、かといって淡々としている様でもなく、当たり前の様に手を動かし、布を服に仕立てていく。布がみるみるうちにシャツに生まれ変わっていく。その様子を見ていると、彼が服を作るということが好きなのだということがすぐにわかる、そんな仕事ぶりだった。ミシンの音が規則的になり、一息つき、また規則的に鳴り響いている。不意に私の実家でも母がよくミシンで雑巾を作ったり、そういえば学芸会の衣装を作ってくれたことを思い出した。あの頃は夕食が終わった後、母はよくミシンを使って何かを作ってくれていたが、いつの間にか忘れかけていた。あの時の母はどのような表情をしていただろうか。彼の様な清々しく、暖かみのある表情をしていただろうか。自分はケニアにいるのに、思い馳せるのは日本のことなのが、どこか可笑しく思えた。遠い過去の出来事を今に繋げてくれたミシンの音が、何故かとても大切なものに感じる。そうか、当たり前のことなのかもしれないけど、ここでもミシンはあるのだ。しかも、人々の生活に寄り添う様に。そんな当たり前を忘れかけていた。

 

 流石に腹が空いてきたので私は店を離れることにした。少し歩くと、音はたちまち街の喧騒の中に隠れてしまった。ただ、頭の中で反芻する音は鳴り止まなかった。せっかく思い出した音を、今度はもう少し大切にしようか。また少ししたら、この音を聞きたくなってあの店に立ち寄るかもしれないと、ぼんやりした頭で考えていた。