たとえ言葉が風だとしても~開発的ビジネス論序論~

開発とビジネスの架橋を目指した新たなシステムを議論・検討・批判する場です。

豊かな市場、脆弱化する社会

〈好調なケニア市場〉

 ケニアはここ数年FDI(海外直接投融資)額がドカンと跳ね上がっている。世銀のデータを見るとそれは顕著で、2013年からの伸びはもはや驚異的というべきだろうか。

http://data.worldbank.org/indicator/BX.KLT.DINV.CD.WD?locations=KE

 2016年に公表された在アフリカ日日系企業に対する調査(JETRO)では、今後ケニアを最有力な投資先としてみる企業が多いようである。

https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/01/cd657477753a916f/20150179.pdf

 先ず筆者の立場から言えば、今後ケニアの市場に将来性があることは間違いがないと考えている。筆者はナイロビで行われているビジネス展示会に頻繁に参加しているが、先進国企業に加え新興国企業(たとえばベトナムインドネシアなど東南アジア企業、イランやUAEなどの中東企業)が精力的にビジネス展開を狙っている。これはまた別の記事で取り扱いたい。

 21世紀のアフリカ社会における最も劇的な変化は、経済成長の源泉となった一次資源価格の高騰ではなく、筆者は「アフリカが市場として認識された」ことだと考えている。

 これは経営学者であるプラハラードが提唱したBOPビジネスという概念がもたらした影響が極めて大きい。そして、その後資源需要がもたらした投資循環がサブサハラの経済成長に貢献した。膨大な内需に関しては慎重に議論しなければならないため、ここでは省きたい。

 

 今一度世銀のデータを参照して欲しい。2007年末から2008年初頭にかけて発生した選挙後暴力、そして2008年中盤に露呈したリーマンショックは直接的、間接的にケニアに影響したことだろう。1997年に発生したアジア通貨危機の際にも、アジアから遠く離れたアフリカ市場から資金が引き上げられた過去があった。グローバル市場がもたらす連関性は現在その繋がりを増し、別地域の出来事のはずが、アフリカに直接的な影響をもたらすようになっている。

 その後の好調を説明する多くの理由は、中国の経済成長とそれがもたらす資源需要に集中するだろう。

そうした背景を考慮しつつも、一度市場として認識されたケニア市場の将来性は明るいものであると考えている。東アフリカの中心国であり、近年ではM-PESAに代表される革新的かつ意欲的な技術挑戦がこの地で始められた。現地にオフィスを構える外国企業ではポスト中国議論を始める企業もあり、アフリカビジネス戦略のある意味では最先端を走っているとも考えることができる。こうした活気がナイロビにはあるのである。

 

〈脆弱化する社会〉

 その半面、社会が脆弱化していることも表面化している。中間層の伸びは鈍く、労働者の中でフォーマルセクターとインフォーマルセクターの労働者の比率は拡大傾向が始まっている。好調なGDP成長の反面、人口で見た失業者数やギリギリの生活に耐える人々の声は増大しているのだ。強調しておかなければならないことは、中間層の絶対数は着実に伸びていることである。しかし、それを上回る脆弱者層の人口増があるということである。

 特に若年層のフォーマルセクターへの就職が困難であることはもはや社会問題となっている。「金持ちの財布はどんどん大きくなっていく、私達は財布に入れる金もない」という言説を、筆者は様々な層の若者から頻繁に聞いてきた。ナイロビ大で勉学を修めた若者がスラムで暮らさざるを得ない現状があるのである。先進国が政府に求める再配分機能を、現在のケニア政府に求めることは酷であるかもしれない。能力的、システム的に多くの困難があるからである。その一方で役人の汚職問題には事欠かなく、脆弱層を中心にした役人やアッパー層に対する感情がもはや憎悪と呼べるほどに膨れ上がっている。彼らも当たり前に平和と安定を求める、普通の人間である。だからこそ、現在の社会構造とそこから利益を享受するアッパー層に対する不満や怨嗟は、表面上どのように振る舞おうと、その心の奥底では決してなくならないのである。そして、その中には全てを諦めてしまったかような人間も筆者は相当数見てきている。

 

〈よく乾いた火薬庫〉

 こうした不満や鬱憤が点火する機会がケニアでは5年毎に回ってくる。それが選挙だ。政治にもはや期待をしない者を除き、こうした憤りを政治家に託し、何とか現状を変えてくれという叫びを込めて投票する者がいる。反面、既得権益にある者は決してこの構造を変革させてはならず、恐怖と期待をごちゃまぜにしたような気持ちが投票を促す。ケニアで悲劇的なことは、こうした利益構造が歴史的に民族というくくりに深く結びついてしまったことである。ケニアでの民族の歴史は植民地政策まで遡る利益と暴力に彩られている。元々ケニアでの民族はゆるやかなものであり、比較的簡単に民族の変更、つまり他民族への流入と受け入れが行われていた。それが今では暴力を巻き起こす主要因の一つとなっている。

 筆者は現在のケニアを「よく乾いた火薬庫」であると認識している。これは紛争分析で用いられる2つの分析軸である、構造的要因と引き金要因から想起したものである。つまり、簡潔に説明しようとするのなら、構造的要因(火薬の量と質)と引き金要因(その火薬に点火するきっかけ)を考えた時、こうした表現が思い浮かぶ。民主的な選挙が本格的に導入された1992年から、ケニアでは選挙が行われる5年毎に暴力が発生するのではないかという恐怖に人々が曝されている。とある研究者は、「五年ごとのリボルバーロシアンルーレットを行うようなものだ」と発言していたが、筆者も同感である。それでは暴力が発生しなかった場合はどうであるかというと、単に幸運が重なっただけである。残念ながら火薬は現在も着々と積み重なっている状況で、GDP成長がその火薬を湿らすことは現在のところ考えることは出来ない。そして、五年毎に来る点火のきっかけからは逃れることは出来ない。

 2013年の選挙は特殊であったが、今回の選挙も異質なものとなるであろう。ケニアで史上初めて、セカンドラウンドまで突入する可能性があることだ。両陣営で奇妙なことは、ファーストラウンドでの一発勝負で決着をつけることを念頭に置きつつ、セカンドラウンドの可能性を考えた戦略を実行しなければならないことだろう。安全確保を行わなければならないものにとっては、対応が難しくなるかもしれない。

 2008年の選挙後暴力では中国人商店に対する襲撃事件が目立つ事例があった。背景にある正当化理論(そして誤りがある)は「外国人がケニアで搾取している」、だ。それでなくとも、現地コミュニティで少しの摩擦が余計にもつれる場合がある。選挙前後は電子機器など価値の高い物資は引き上げることも検討すべきかもしれない。

 市場だけに目を向ければ、ケニアには意欲的な未来があるといえるかもしれない。しかし、それを支える社会の先行きは誰も見通せぬままである。