たとえ言葉が風だとしても~開発的ビジネス論序論~

開発とビジネスの架橋を目指した新たなシステムを議論・検討・批判する場です。

とあるバスの情景<行きはよいよい帰りはこわい>

<行きはよいよい>

 

ちょうど昼時に入る頃、私はバスに乗り込み、展示会が開かれる街中へと向かっていた。市民の足である公共バスは当然ケニア人が利用するもので、車内で異邦人は私だけだった。積み込めるだけ乗客を積め込んだバスは、凸凹する路面にまるでヒップホップでも踊るかのようにアップダウンを繰り返しつつ、その度乗客の体を前後に揺さぶる。ここらの道は中国企業が作った大分マシなものだが、これが郊外や田舎を走ると更にバスは上機嫌に乗客を揺さぶり、時には天井に頭が激突することもある。なんということはない、ケニアではよくある光景といっていいかもしれない。

 

車窓から流れる風景に目をやった。晴れた良い天気だったが、雲の様子からすると午後から雨が降るだろう。地平線の端っこの方にあるゴミ集積所からは薄汚れた色をした煙が立ち込めていた。こうした集積所はナイロビには何か所かあり、生活に苦しむ者や犯罪を犯した者がよく集まっている。ゴミを換金して糊口をしのぐためだ。その中には女性も子どもいる。ゴミを燃やしたときに出る煙には化学物質が含まれており、そこで暮らす住民の健康問題が度々問題となっている。皮肉な言い方をすれば、彼らはゴミによって生かされ、ゴミによって殺されてもいる。そういう現実もこの街には存在する。

 

アパートが集まる地域に差し掛かると、十人ほどの男たちがパンガ(山刀)を手に空地で草刈りをしていた。リズミカルに腕を右に左に振り、その度に草が宙を舞う。ただ草を刈っているだけにすぎないはずなのに、なぜだか踊りや儀式の様に見えてくるから不思議だ。時にケニア人は日常風景にまでリズムやダンスを持ち込んでしまう。男たちは右に、左に、草を舞わせる。よく目にする何でもない風景に、いつのまにか目が離せなくなっていた。

 

何気なしに隣の乗客に目が向いた。肩幅の広い男性だった。ぎゅうぎゅう詰めの車内で文字通り肩を寄せ合って乗り込んでいるため、ゴツゴツした肩が私の体を押しつぶそうとしていた。手元を見てみると、節くれだった、働き者の手をしていた。こういう手をしている人間は大体信用できるヤツなんだよな、と勝手な憶測が思い浮かぶ。そういえば先ほど電話に出たとき、何やら一生懸命商談の交渉をしていた。何となくその男性に興味が涌き、自然と声をかけていた。男性も手持無沙汰だったようで、その後の道中は退屈せずにすんだ。

 

<帰りはこわい>

展示会も終わり、それなりの収穫を手に、帰りのバスに乗り込んだ。展示会では日系企業も何社か参加しており、メディアを引き連れた省庁のお偉いさんの訪問に堂々とした応対をしていたのが印象深かった。私は全く関係ないのだが、誇らしく嬉しい気持ちになったのは私も日本人だからだろうか。二年前に若いインド人が始めたというガラス加工メーカーは今や年商が一億シリング、従業員五十人以上を抱える企業に成長し、工場の訪問依頼にも快く応じてくれた。未だ事業すら開始できていない弊社の現状を思い出すとため息が止まらないが、それでも彼らを見習ってやるしかないと再会を約束して固く握手を交わした。

 

手元の成果に満足してバスに乗り込んだが、次第に雲行きが怪しくなってきた。ナイロビの雨は急に来る。先ほどまではうっすら汗をかくほどだったはずが、たちまち車内は肌寒くなり、すぐに横殴りの雨がバスを襲った。台風でもないのに雨がうねるように叩きつけ、風が吹くとうっすら色づくほどである。頭上からポタっと水滴が落ちてきた。天井に穴が開いていたようで、いやがらせのように冷たい感触が頭とひざにたたみかける。道路はたちまちに川へと変わり、またたくまに大渋滞となった。

 

さて、どうやって帰ろうか。行きよりもぎゅうぎゅう詰めの車内で頭をかかえたくなるが、そんなスペースはどこにもない。お手上げ状態で隣の乗客と帰宅戦略について話した。

「君の家はどこ?え、パイプライン?俺よりも遠いじゃん。こういうときどうすればいいの?」

「普通は止むまでどこかで雨宿りだね。でも、雨宿りするまでにずぶ濡れになるから意味ないよ」

帰宅戦略はすぐさま暗礁にのりあげた。

 

そうはいっても、結局家に帰らなければならない。バスの外に出るのはとてもためらったが、意を決して踏み出すことにした。乗客をかき分け車外に出ようとする私をまるで珍獣か何かを見るような目で見るおばさんやささやかなエールをおくるような目で見るおばあさんを尻目に、ようやくドアまでたどり着いた。そしてすぐに後悔した。ドアが開かれたすぐ先が、どでかい水たまりだった。深さを測りかねるほどの深さのところに革靴で踏み込めというのか。しかもその水たまりに素晴らしい勢いで水が流れ込んでおり、足をとられかねないほどなのだ。しかし、ドアを開けっぱなしにしていたら雨がザーザーと車内に入ってきてしまう。足の踏み場などどこにもないけど、それでも踏み出さないといけない時もある。

 

道を開けてくれた乗客の皆さんに「ありがとう!そんじゃ行ってくるわ!」と告げると、学生らしき兄ちゃんからやる気のない「グッドラック」という言葉をもらった。観念して水たまりに踏み出し外に出ると、ため息は白く変わり、すぐさまガチガチと歯が鳴った。