たとえ言葉が風だとしても~開発的ビジネス論序論~

開発とビジネスの架橋を目指した新たなシステムを議論・検討・批判する場です。

「ChineseからJapaneseになる私」

 私には密かに自慢していることがある。それは、「私がよく歩くエリアでは、私はJapaneseと声をかけられる」ことだ。何が何やらさっぱりな方もいるだろうが、こちらの現状を知っている方からは、「本当ですか、それは凄いですね」と褒めてくださる方もいる。おお、その価値と意味をわかっていただけるか。汗水垂らして現場を歩いている甲斐があるというものだ。

 

 上記の自慢について、少々説明が必要だろう。

 

 現在、サブサハラ・アフリカ諸国で東アジア人を見かけたとき、ほとんどの場合で現地人はそれを中国人と認識する状況である。一昔前までは東アジア人=日本人として声をかけられた時代があったそうだが、残念ながらそれも今は昔のことである。如何せん、こちらに入り込んでいる人口が絶対的に違うのだからしょうがない。それに近年では援助やビジネスでの存在感は抜群であり、ケニアの一般市民の中からは中国語学校に通い、将来中国の建設会社に入りたいという若者まで出始めている。エリート層が中国政府によって各国で展開している孔子学院に入学するということとはレベルが異なり、ここでは既に一般市民のステップアップ先として、中国というキーワードが関わり始めている意味は大きいだろう。国によっては反中感情が大きい国もあるが(ザンビアなどは典型的だろう)、アフロバロメーターの調査からも分かるように、過半数以上が中国に対して、様々な思惑はあれど、ポジティブなイメージを持っているのが現実である。

 

 そんな訳で、普通に歩いていてもJapaneseと声を掛けられることはまずない。しかし、今後私のビジネスを進める上で、私が日本人であると周知しておくことは重要になってくる。そのため、このようなやり方をよく実践している。私が新しいエリアで活動するとき、たいてい私の土台となる対象が宿、食堂、そしてキオスク(小売商店)だ。私が踏み入るエリアは日本人だけなく現地人ですら危険な場所もあり、そのため初めは活動範囲を広げることはない。冒険RPGゲームではとりあえず宿と酒場に行けば情報が集まるなんてことがあったりするが、感覚的にはそれに近いかもしれない。用事がなくても宿や食堂、キオスクに出入りし、何度か実際に利用する。他愛ない軽口がこういう時にはとても役立ち、それに加えいつも同じオーダーをすることでこちらの存在を印象付ける。ここで一番重要なことは、私という人間が商品を受け取ったときにちゃんとお金を支払う、つまり約束を守る人間だということ、そしてその宿や店のサービスと商品を気に入っているから通っていることを相手に理解してもらうことだ。

 

 例えば食堂にいくときは「いやー色々レストランはあるけど、ここのウガリはいいね。俺が昔滞在していた村のばあちゃんが作ってくれたウガリに似ているよ」、なんて言葉を添える。相手からすれば、なんでこの中国人はケニアの村に滞在したことがあるんだ、しかもチョップスティックは使わないのか等と次第に興味が高まってくる。相手がこちらのオーダーを覚えてきたくらいの段階で、もう少し踏み込む。「お、いつもの覚えてくれたんだ!有難う、ミスター…?そういえばおっちゃんの名前聞いてなかったよね?俺は友達からマサって呼ばれてるよ。日本人だ」。こんな感じで切り出すと、多くは「お前日本人だったのか。中国人だと思ったよ」のくだりがあり、後は自然に仲良くなれる。その後はさらにこちらを信用させると、今度は向こうから話しかけてきたり、こちらの頼み事を聞いてもらえるようになる(余談だが、ダウンタウンにはツケがきく行きつけの店がいくつかある)。そして、相手の信用度合いに応じて、活動エリアを広げていったり、全く別のエリアを歩くときは同じことの繰り返しだ。こうやって、私は次第にChineseからJapaneseと呼ばれるようになる状況を作っていく。裏を返せば、計算尽くで現場を歩けない人間は、危険なエリアには決して踏み入ってはならないし、私でもときに慢心してしまった場合は危ない目にあっている。くれぐれも慎重に、だ。

 

 これからアフリカを歩く日本人はどんどん増えていくだろう。残念ながら、現地人から中国人と誤認されて、トラブルに巻き込まれてしまうケースも存在する。時と場合によるが、こちらで長く活動したいという方には上記のやり方を試してみることをおすすめしたい。