たとえ言葉が風だとしても~開発的ビジネス論序論~

開発とビジネスの架橋を目指した新たなシステムを議論・検討・批判する場です。

「不確実性の世界」

 

 ドナルド・トランプ氏が大統領に就任しましたね。ブレキジットといい、現地大衆の支持が国際世論と乖離する事態が続きます。

 今や世界は予測の付かないルール下でゲームを戦わざるをえない状態に陥りつつあるように思えます。現行のグローバル社会を支配する二大主義(資本主義、自由民主主義)に対する懐疑論は今後一層強まっていくことでしょう。これは市民間で生じる経済的な動揺が大きく影響していると考えています。つまり、一部の新興層、富裕層を除いた大衆の経済レベルが悪化し、これまで比較的順調に運営されていたシステムを疑わざるをえない状況に陥りつつあるということです。

 先ずは現行の資本主義制度に関する私見を。富の格差が増大し、ゼロサムゲームが行われる舞台の規模が大きくなり、歯止めがきかない状況であると認識しています。過去ならば政府などが富の再分配に一定程度の影響力を持っていたでしょうが、現在では巨大企業の影響力が大きくなりすぎ、トップ層がより強大な権益を持っているため、調整役を担うものがいなくなっているのではないでしょうか。少なくとも、調整力の衰弱はあるでしょう。元々資本主義にはこのような性質が存在していることは認識されていましたが、これまで様々なアクターが関与してそれなりのバランスを保っていたシステムは、一部のアクターがパワーバランスを破壊したために、大衆の経済基盤を支えるシステムとしては機能不全を起こしているように見えます。だからこそ、修正資本主義論などがあるように、資本主義のアイディアを引き継ぎつつ、大衆に寄与する新たな資本主義システムの模索が盛んに行われていると認識しています。

 次に自由民主主義(以下、民主主義とする)についての私見を。民主主義は単なる「多数決の票取りゲーム」ではありません。民主主義を構成する人間に市民としての能力と責任がない場合、民主主義は機能しません。本来参政権は多くの血と汗の努力によって市民がかちとった権利のはずですが、現在多くの人々が無自覚にこの権利のみを享受し、責任を軽視しがちです。市民が自ら立ち上がろうとする意思がない状況下では、強くリーダーシップのある指導者が求められます。また、次代の指導者の座を狙うものは、こういう状況をとても良く認識することになります。そうした状況下では、指導者の勝ちやすいパターンが歴史上何度も繰り返されており、例えば①仮想敵を作り出し、人々の不満や不安を煽り、集中させる、②自らを仮想敵の打破や現状の破壊と再生を訴える英雄として認識させる、③自らを反対するものには徹底的に敵対しなければならないため、言動が過激になる、という流れが多いでしょう。どこかで聞いた話ではないでしょうか。少しドキッとしませんか。一番の問題は、そもそも解決が困難な問題に対して耳障りの良い公約を掲げたとして、果たして実現可能性がどれほどあるかということです。トランプ氏がぶちあげた国境に万里の長城を建設するなどは論外でしょう。別視点からみれば、アメリカ国民はそうした荒唐無稽な発言をするものを支持せざるを得ないほど追い詰められているという視点も持つべきでしょうか。

 現行の世界を支配する二大主義の動揺によって、これからどんどん予測が難しくなる世界、つまり、不確実性の高い世界になることが予想されます。こうした状況下では、人間は守りに入り、じっとしている人の数が多くなるでしょう。株価の乱高下やリスク資金の引き上げ、外交上の緊張など、良い影響は少ないでしょう。こうした状況だからこそ、歴史を振り返ることで、今後の情勢を理解する杖あるいはスコープとしたいところです。